美しいひとになりたいOLりりの報告

「美しいひと」になりたいアラサーのOLが、考えたことや試したことなどをメモしていきます。

涙が止まらなかった…バチェロレッテを観た感想

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バチェロレッテを観終わりました。

 

男性陣が、萌子さんとの対話を通して自分と向き合い、前を向いて生きていこう決意する模様がとても印象的でしたが、

観ながら、私自身も自分と向き合い、変われたような気がしました。

 

萌子さんは自分の気持ちに正直な女性です。

えっ!これが許されてしまうのだ、と思うシーンが何回かありました。

しかしそもそも、私たちは日頃から自分の考えよりも「空気」だったり「他人の意見」だったりそういうものに左右されすぎているのではないでしょうか。 

「これが許されてしまうのだ」と考えているということは私自身も、「この場面において自分の意見を通すことは許されないこと」と思い込んでいたということになります。

ハッとしました。

萌子さんは、普段、私が押し殺していることや思い込んでいることに疑問を投げかけてくださる気がしました。反対され考え直そうかと思っている自分自身のポリシー、そういうものに認めて、他者の意見に従わなくても良いのだと言ってくださる気がしました。

 

私はずっと、自分以外の何者かになろうとしていた気がします。

世間で言われるところのいい女、モテる女、魅力的な人、そういう人になろうとしていたと思うのです。

そのようなテンプレートに自分を当てはめようとした時に感じる違和感や後悔は、私が、ちゃんと出来なかったために感じるものだと思っていました。練習の問題なのだと。出来るようになれば感じなくなるのだと考えていました。

でも違う。自分の気持ちに嘘をついている違和感だから、どんなに出来るようになっても、目を瞑ることは上手くなっても、根本的な違和感は拭い去ることができないのだとわかりました。

空気を読めなくなって、ユーモアのセンスがなくたっていい。世間で良いとされるものになろうとしなくたっていい。

自分の気持ちと向き合い、それを正しい言葉で伝えることこそが大事なことなのだと、萌子さんを見て感じました。

 

また、私は恋愛において「私自身が愛しているかどうか」をとても重要視していました。

しかし友人からは、『自分は愛していなくても、自分を愛してくれる人と付き合ってみたらどうか』『とりあえず付き合ってみたらどうか』と言われることが多くありました。

1人からではなく、複数人からです。

ですので、「私自身が愛しているかどうか」を重視している人は少数派なのだ、自分はイレギュラーなのだと考えていました。

ありがたいことに私に興味を持ってくれる男性もいたので、友人のアドバイスに従ったほうが良いのではないかと考えたこともありました。

しかし萌子さんを見ていて、自分のポリシーが少数派、多数派なんて関係ない、自分自身が生きたいと思ったように生きるのが大事になのだと深く感じることが出来ました。

萌子さんの言葉を借りるとすれば、『自分自身の人生が肯定された気がした』のです。

これからも自分自身の愛する人と愛し愛されるように、尽力していきます!

 

気持ちを書いたら随分と長文になってしまいました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。