美人見えマスクはこれ!
友達からクリスマスプレゼントでいただいたMERCURYDUOのマスク。
とっても綺麗に見せてくれます!
私がいただいたのはピンク。
ほんのりピンクで、とても上品に見えます。横顔の見え方もとても綺麗。
生地はシルクで、とても肌触りが良いです。ふわっと優しく顔を包んでくれます。何より、ここまで通気性が良く苦しくないマスクは初めてでした。
たしかに考えてみれば、カイコを守っているシルクは通気性もいいはずですし湿度管理もバッチリなはず。もしかしたら、マスクに最適な素材なのかも。
優しい天然素材は、マスク荒れもしにくそう!
使い勝手の良いマスクケース付きなのも嬉しい!
マスクの紐のところは自分で縛って使います。結目などが痒くなってしまう人は要注意! また、通気性が良いので呼吸のたびに生地が動くのはちょっと気になるポイント?
でもそんなこと気にならないくらい可愛いです!
徒然草から学ぶ恋愛の極意
徒然草の百十段に「双六の上手」というのがあります。
双六の強い人にそのコツを聞くと、「勝とうとするのではなく負けないようにすること。」と言ったという内容です。
恋愛もまたこれなのではないかとふと思いました。
恋愛においての「勝ち」が「惚れられること」、「負け」が「嫌われること」だとすると
双六の強い人に言わせれば、二人の関係性において大事なことは惚れさせようとすることではなく嫌われないようにすることです。
嫌われることを避け、少しでも嫌われない行動を取っていくべきなのです。
しかし、負けないようにして勝つことは本当にできるのでしょうか。つまり、嫌われないようにすることで好きになってもらうことは可能なのでしょうか。
徒然草ではその事については語られていません。
いろいろと思いを巡らせているうちに、孫子の兵法に行き着つきました。
軍形編に答えがあるような気がします。
そこには、こう書いてあります。
孫子は言う。
昔から、戦いに巧みな者は、まず敵が自軍を攻撃しても勝てないようにしておいてから、敵が弱点を露呈し、自軍が攻撃すれば勝てるようになるのを待ち受けたものである。
負けないようにすることは自分自身によってできることだが、自軍が敵に勝つかどうかは敵軍によって決まることである。
したがって、どんなに戦いが巧みな者であっても、敵を勝たせない状態にすることはできても、敵を攻撃すれば勝てる状態にさせることはできない。
そこで、勝利の方法を知ることと、実際に勝利を実現することとは別であるというのだ。
いかなる敵も自軍に勝てないようにするのは守備のあり方である。
敵に勝てるようにするのは攻撃のあり方である。
守備を優先すれば兵力に余裕が生まれる。攻撃を優先すれば戦線が拡大することによって兵力が足りなくなる。
そこで古来、守備を優先して巧みに戦う者は、地底深くに潜むようにして守りを固め、好機と見れば一気に天高く飛び上がるかのように攻めに転じた。
そうした戦い方だからこそ、自軍を保全しながらも確実に勝利を収めることができるのである。
「負けないようにする」ことはただ負けない策を練るだけではなく、同時にじっとチャンスを伺うということなのです。
どんなに強いものでも、敵を攻撃すれば勝てるとは限らないと孫子の兵法には書かれています。攻撃して勝てるかどうかは敵の状態によるもので、自分にはわからない。自分自身の力でできることは「負けないようにすること」だけなのです。
徒然草の「負けないようにすること」と孫子で言うところの「負けないようにすること」は少し違うので、そのことについても考えていきます。
恋愛で置き換えてみると、徒然草の「負けないようにすること」とは、相手に嫌われないように接することであり、孫子で言うところの「負けないようにすること」とは、「攻撃するための力をつけること」つまりは「自分自身を高めること」だと考えられないでしょうか。
この2つから学べることをまとめましょう。
恋愛を「勝負」だとするならば、重要なことは「じっとチャンスをうかがい、ここぞという時に攻める」ということ。
そのために普段は「負けないこと」に徹する。
教養を深めたり、メイクを研究したり、ダイエットをしたり、コミュニケーションスキルを高めたりして自分自身を高める。接するときは、惚れさせようとするのではなく、嫌われないようにしていく。
自分自身が美しく知性があり、またそれを日々高めているならば、以前は話すのに臆してしまった人でもいずれ余裕を持って接することができるでしょう。
また接し方においては常に「嫌われない」ように接することで、二人の関係性は継続していく。
するといつか敵(好きな相手)が弱点を露呈させる瞬間がある。つまり、関係を進展させるチャンスが見えてくるということです。
そのチャンスに勝負を仕掛けるのです。
古典を読むといろいろなヒントが隠されていますね!
涙が止まらなかった…バチェロレッテを観た感想
バチェロレッテを観終わりました。
男性陣が、萌子さんとの対話を通して自分と向き合い、前を向いて生きていこう決意する模様がとても印象的でしたが、
観ながら、私自身も自分と向き合い、変われたような気がしました。
萌子さんは自分の気持ちに正直な女性です。
えっ!これが許されてしまうのだ、と思うシーンが何回かありました。
しかしそもそも、私たちは日頃から自分の考えよりも「空気」だったり「他人の意見」だったりそういうものに左右されすぎているのではないでしょうか。
「これが許されてしまうのだ」と考えているということは私自身も、「この場面において自分の意見を通すことは許されないこと」と思い込んでいたということになります。
ハッとしました。
萌子さんは、普段、私が押し殺していることや思い込んでいることに疑問を投げかけてくださる気がしました。反対され考え直そうかと思っている自分自身のポリシー、そういうものに認めて、他者の意見に従わなくても良いのだと言ってくださる気がしました。
私はずっと、自分以外の何者かになろうとしていた気がします。
世間で言われるところのいい女、モテる女、魅力的な人、そういう人になろうとしていたと思うのです。
そのようなテンプレートに自分を当てはめようとした時に感じる違和感や後悔は、私が、ちゃんと出来なかったために感じるものだと思っていました。練習の問題なのだと。出来るようになれば感じなくなるのだと考えていました。
でも違う。自分の気持ちに嘘をついている違和感だから、どんなに出来るようになっても、目を瞑ることは上手くなっても、根本的な違和感は拭い去ることができないのだとわかりました。
空気を読めなくなって、ユーモアのセンスがなくたっていい。世間で良いとされるものになろうとしなくたっていい。
自分の気持ちと向き合い、それを正しい言葉で伝えることこそが大事なことなのだと、萌子さんを見て感じました。
また、私は恋愛において「私自身が愛しているかどうか」をとても重要視していました。
しかし友人からは、『自分は愛していなくても、自分を愛してくれる人と付き合ってみたらどうか』『とりあえず付き合ってみたらどうか』と言われることが多くありました。
1人からではなく、複数人からです。
ですので、「私自身が愛しているかどうか」を重視している人は少数派なのだ、自分はイレギュラーなのだと考えていました。
ありがたいことに私に興味を持ってくれる男性もいたので、友人のアドバイスに従ったほうが良いのではないかと考えたこともありました。
しかし萌子さんを見ていて、自分のポリシーが少数派、多数派なんて関係ない、自分自身が生きたいと思ったように生きるのが大事になのだと深く感じることが出来ました。
萌子さんの言葉を借りるとすれば、『自分自身の人生が肯定された気がした』のです。
これからも自分自身の愛する人と愛し愛されるように、尽力していきます!
気持ちを書いたら随分と長文になってしまいました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。